レーサーになる夢は諦めたが、
東京大学では自動車部に所属。
伝統の七大戦で連覇するなど
昔取った杵柄を遺憾なく発揮した。
そんな中、ひょんなことから
EVレース参戦の機会を得る。
青年は再び夢の道を歩みはじめる。
楽しき自動車部ライフ
——地頭所選手は、第一志望の東京大学に入学後、自動車部に入部しています。高校2年のときにレーサーになる夢をほぼ諦めたのに、なぜ自動車部に?
地頭所 もともと乗り物系のサークルに入るつもりでいました。それで、入学早々に航空部やヨット部などを覗いたんですけど、やっぱり共通の話題で盛り上がれるのが自動車部の人たちで、楽しくやれるのはここしかないと感じたからです。プロレーサーになりたいというような気持ちではなかったですね。
——自動車部で、日頃はどんな活動をしていたんですか?
地頭所 駒場キャンパスに自動車部のガレージがあって、平日はそこに集まってミーティングを2時間くらいして、土曜日に部で持っているクルマ1台と自分のクルマを整備するという感じでした。基本的にみんなでサーキットなどに走りに行くという機会はあまりなくて、「走りたければ、授業の合間を縫って一人で行く」というスタンス。いい意味で、みんな勝手にやっていました。
——でも、部として競技会にも出場するでしょうから、そういうときはみんな一丸となったんじゃないですか?
地頭所 ああ、それはありましたね。東大自動車部は、旧帝大七大学の各運動部が参加して行われる年に一度の七大戦(全国七大学総合体育大会)での自動車競技部門(ジムカーナとダートトライアル)で優勝することを一番の目標にしていて、そのときは全員が結束して臨みました。会場が北海道や九州といった遠方の場合は、各自のクルマを運転して目的地を目指すんですけど、ずっと集団で走っていきました。そのときの仲間との交流は毎回めちゃくちゃ楽しかったです。
2018年の七大戦ジムカーナ大会北海道での1シーン
七大戦で連覇を達成
——自動車部で乗っていたクルマは何だったんですか?
地頭所 入部したときに先輩から「大会で勝てるクルマを買えよ」と言われたので、中古のジムカーナ仕様のトヨタMR2 GTSを手に入れました。千葉工大の自動車部OBが安く譲ってくれたんです。高2のときのレーシングカートを売ったお金で買ったのですが、それで七大戦で何度も優勝できたことがあり、自分の中でも思い出深い1台です。
——MR2で何度も優勝したんですね。それはジムカーナ、ダートのどちらで?
地頭所 どっちもです。1年のときは「まだまだ修行の時期だ」ということで大会には出場しなかったんですが、2年からはすべての大会に参戦し、結構勝ち続けました。七大戦では2年のデビュー時にジムカーナとダートの両方で勝ち、3年と4年のときにはジムカーナで連覇を果たしています。
——それはすごい。
2017年の七大戦名古屋大会でジムカーナとダートトライアルをダブル優勝
地頭所 自分で言うのはどうかと思うんですが、当時は周りから「東大の神」って呼ばれていました(笑)。
就職か、レーサーか
——そんな楽しいというか、栄光に包まれていた2018年、大学3年の地頭所選手は日本電気自動車レース協会(JEVRA)主催の全日本EVグランプリシリーズ(ALL JAPAN EV-GP SERIES)に、チーム・タイサンのドライバーとして初参戦しています。これは、七大戦で実績を残したことによって、スカウトされたということなんでしょうか?
地頭所 いえ、本当にたまたま。ラッキーに恵まれた結果です。
——いったい、どんな幸運が?
地頭所 2018年の初めに、自動車部の同期の友人が大田区の小学校の同窓会に行ったら、そこにチーム・タイサンの千葉泰常代表がいらっしゃった。たまたま千葉代表と話す機会を得た友人が、その場で東大自動車部の存在と活動を紹介したところ、「東大生が90年代のスポーツカーで走っているのか、それは面白い!」と感激され、その後すぐに自動車部の部車としてインテグラを寄贈するなどのバックアップをしてくださいました。それで、我々の側からも、スーパーGTに参戦するチーム・タイサンにメカニックを派遣するなどし、関係を深めていきました。
——そうだったんですか。それで、EVレース参戦はどのように?
地頭所 そうこうするうちに、2018年のシーズンを前に「JEVRAのEVレースで誰か1人走らないか?」という話が千葉代表から出ました。自動車部の中では僕が唯一カートレースの経験者だったし、七大戦でもいい成績を残していたことから、レーサーに選ばれた……。それが全日本EVグランプリシリーズに参戦した経緯なんです。
——思わぬ人と人の繋がりが参戦をもたらした。その偶然がなければ、レース活動はしてなかったかもしれないんですね。
地頭所 はい。当時はすでに就活をしてまして、コンサル企業などから内定ももらっていました。何もなければ、そのまま就職していたはずです。でも、図らずも2018年の4月に筑波サーキットで開催された全日本EVグランプリシリーズの第1戦に参戦でき、しかも優勝できた。それが大きかったんですよね。改めてレースに目覚めたっていうか、「レースに全力で向き合っていきたい」という気持ちになったんです。
——君子豹変というか、昔からの夢が完全に再燃したわけですね。
地頭所 完全に再燃しちゃいましたね。高2でレース資金をつくる苦労を理由にカートをやめたとき、反骨心もあって「将来は、自分で稼いだお金でモータースポーツを楽しめる人間になってやる」という考えを持ったわけですけど、全力でレース活動に向き合うために、それも前倒しで実行することにしました。実は昨年(2020年)の秋、先ほどの友人と一緒に学生の身分のままテスラのチューニングパーツ・ブランドを日本で販売する会社を起業し、レース資金のマネジメントもその会社を軸に行うようにしたんです。
——EVレース参戦を機に一気に人生が変わったんですね……。もう成人だし、職業選択の自由もあるわけですけど、決意を伝えたときに親御さんは相当驚いたんじゃないですか?
地頭所 ええ、かなり驚いていました。息子の趣味がレースなのはわかっていたけど、ほかの東大生と同じように、いわゆる「いい会社」に就職して堅実な人生を歩むと思っていたのに、まさか先が見えないレーサーになりたいとは、という反応でした。ただ、自分の意思を伝えたときに、会社経営を含めてのレース活動になることをきっちり説明したので、最終的に反対はされませんでした。今では、ロータスタウンに掲載されたレースレポートを読んだりして、僕の活躍をすごく喜んでくれています(笑)。――つづく
EVキーマンに聞く/EVレース王者 地頭所光選手
①「小学生時代、ラジコンカーが僕のレース本能に火をつけた」
②「10分間の初カート体験。これが人生のターニングポイントになった」
③「“カートからレーサー”は無理と感じ、東大受験に専念」
④「“東大の神”と呼ばれた僕(笑)。偶然のEVレース参戦で夢が再燃」
⑤「4連覇できたのは、圧倒的に速いテスラ車を駆っていたから」
⑥「2022シーズンは強敵だらけ。5連覇はそう簡単じゃない」
⑦「トップレーサーになって、EVのワールドカップに挑戦したい」
地頭所光(じとうしょ・ひかる)
1996年千葉県生まれ。小学生のときにラジコンカーの趣味がきっかけでスーパーGTを観るようになり、レーサーになる夢を持つ。中学1年から高校2年にかけてカートレースを経験。2016年に東京大学に入学してからは自動車部に所属してジムカーナやラリーに出場して勝利を重ねた。大学3年時からJEVRA主催の全日本EVグランプリシリーズ(ALL JAPAN EV-GP SERIES)に参戦し、2021年のシリーズまで4連覇を達成。また、2021年にはTGR 86/BRZ Raceのクラブマンエキスパートクラスにも参戦し、開幕から6勝してシリーズチャンピオンに輝いている。2022年シーズンの目標は全日本EVグランプリシリーズの5連覇と、GR 86/BRZ Raceプロクラスでの優勝およびFIA-F4でのシリーズ入賞。