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【i-MiEVの10年 / 元メーカー担当者の目線 前編】「世界初の量産型EVの普及を支える仕事に使命感を持って取り組んだ」(堤健一さん)

2019年11月21日更新



i-MiEV(アイ・ミーブ)というクルマが歩んだ10年を振り返っておきたいと思う。それは、この先10年、20年に展開するであろう電気自動車(EV)の普及に、何がしかの教訓を含んでいるように思うからだ。このシリーズは、それぞれ違った立場からi-MiEVの10年に立ち会った3名のフロンティアへのインタビューで構成する。1人目は、かつて三菱自動車に在籍していた現・株式会社LTE代表の堤健一さん。世界初の量産型EVであるi-MiEVを世に送り出した側として、どのような仕事をし、何を考えていたのかをうかがった。

8輪EV『Eliica(エリーカ) 』の開発に携わった

——まずは、原点から伺います。堤さんが電気自動車(EV)に関心を持ったのは、いつからなんでしょうか?

 1995年からですね。あの頃、私は兵庫県の西宮に住んで、コンピュータソフト会社の営業の仕事をやりつつ、休日は趣味で自動車レースを楽しむという生活を送っていました。ただ、サーキットで走りながらも、「走り放題、ガソリン使い放題、排ガス出し放題……なんていうのは、長続きしないだろう」という思いもどっかにあったように思います。
そうしたところ、その1月に起きた阪神・淡路大震災で自然の脅威と人工物の脆さを目の当たりにして、「自分も世の中もこのままじゃいけない」と真剣に考えるようになりました。
そして、ちょうどそのタイミングで船瀬俊介さんの『近未来EV戦略』という本に出会って感動し、「これからの時代のクルマは環境によくないエンジン車ではなくEVになっていくべきだ」と思うようになったんです。

——被災体験と一冊の書籍との出会いがEVへの関心を引き起こした、と。

 そうです。それで、私はその後すぐに、その本に紹介されていたEV試作車をつくった慶應義塾大学の清水浩先生に「EV試作車に乗ってみたい」という旨のメールを送ったんですよ。そうしたら幸いにも返事がきて、「こんど日本EVクラブが主催する日本EVフェスティバルで小型の試作車を走らせるから、それに乗ってみては?」とのお誘いをいただきました。
それで、西宮から茨城の谷田部の会場までイソイソ出向いたんですが、そのときに乗せていただいたEVのドライブフィールが、もう、想像以上にすばらしくて。瞬時に「今後の自分の仕事は世の中にEVを普及させていくことだ!」との断固たる決意が生まれ、結局、そこからずうっと今に至るまでEVに関わる仕事を続けているというわけです。

——その清水先生の研究室にも在籍してらしたそうですね。

 はい、当初は自分でEV関係の事業を始めてみたのですがうまくいかず、先生の研究室に拾っていただき、4年ほど研究を手伝わせてもらいました。2004年に公開されて大きな注目を浴びた8輪駆動EVの『Eliica(エリーカ)』の開発にも携わっています。その後2005年に三菱自動車に入社することになるのですが、それも清水先生の研究室の活動で知り合った方々との縁が繋がった結果なんです。

販売開始から出足好調

——では、三菱自動車入社後のi-MiEVに関する仕事がどのようなものだったのかについて教えてください。

 まずEVの商品開発の部署に配属になりましたが、図面が引けないし、エンジニアリングの技術もなかったので、直接のクルマづくりに携わっていたわけではありません。i-MiEVとして世の中にお披露目されるクルマの、コンセプト開発やマーケティングなどを行っていました。「i-MiEVをどんな人たちにどうやって売っていこうか」ということを考え、実行に移す仕事に携わったということです。

——発表以降はどんな仕事をされたのですか。

 販売支援的な仕事です。i-MiEVは2009年6月に翌7月からの発売を発表し、まず官公庁・地方自治体・法人向けへの販売(メンテナンスリース)を開始し、翌年4月から個人向け販売がスタートしました(編集部注:個人の予約は2009年7月末から開始)。
その中で、私たちは、まず電気繋がりで、電力各社さんにご購入をお願いしました。それから全国の地方自治体の環境関係の部署を訪ねました。地方自治体は、省エネ活動を実践しなければいけないという方針がはっきりしていましたから、公用車としてEVを採用してくださるだろうと考えたわけです。当時、経済産業書が『EV・PHVタウン構想』を立ち上げるということになったので、そこに手を挙げてくださる地方自治体に協力して一緒にプランを考えたりしました。

——初年度の販売実績は1,426台ですが、この台数への評価はいかがでしょう?

 初年度については目標が1,400台と発表され、われわれもそれを達成すべく努力しましたが、9月の時点でその全数を受注していました。ありていに言えば、初年度の生産体制が1400台程度であったということです。
また、個人向けの予約も、出足はかなり好調な推移でした。環境問題やエネルギー問題が声高に叫ばれるようになった時代にあって、「EVの存在意義は認められいる」と意を強くした記憶があります。



給電や充電のためにも奔走した

——ところで、堤さんは、昨年、日本EVクラブさんが実施した『電気自動車EVスーパーセブンで東北被災地を巡る旅』のドライバーを務められました。その際、われわれも同行取材させていただき、堤さんがアイ・ミーブの外部給電器であるMiEV power BOXの開発に関与されたという事実をお聞きして、それを記事にして紹介しています (https://www.lotascard.jp/column/future/7472/)。EVのマーケティングや販売支援のかたわらで、こうしたEV周辺に関わる仕事もしておられたのですか?

 はい、いろいろやっていましたね。ただ、MiEV power BOXの開発経緯についていうと、私は「i-MiEVから電気を取り出して避難所などで使えると助かる」という被災地の切実な声を会社に届ける役割をしただけ。ごくごく当たり前の行為が幸いにも陽の目を見たということです。まあ、これが後に「EVやPHEVの給電機能」というメリットとして確立する端緒になったことを考えると、純粋にうれしく思います。



——EV周辺に関わる仕事で、ほかに記憶に残っている仕事はありますか?

 今、日本の充電規格としてCHAdeMOがありますけれど、あの協議会の前身を設立するきっかけをつくったことかなあ……。

——CHAdeMO協議会の設立にも関わっていらしたんですか!?

 ええ。当時はEVも急速充電器もスタートしたばかりでしたが、将来、さまざまな自動車メーカーがEVを販売し、さまざまな充電器メーカーが充電機器を発売するようになると充電規格が入り乱れるおそれがありました。そうなる前に日本国内で充電規格を統一する協議会のようなものが必要ではないかということで、私が三菱自動車を代表して、東京電力さんに「そうした組織をつくりませんか?」と話をもちかけた……というわけです。
その後、CHAdeMOという名が付き、多くの会社が参加する協議会となり、充電規格としても世界的な存在になったわけですが、充電ネットワークのベースづくりにわずかながらでも寄与できたのではないかと思っています。

——充電ネットワークはEVの生命線ですから、すごく意義のある仕事をされたと思います。

 それから、地図の会社と組んでカーナビに充電器が表示され、データとして所在地やサービス時間帯、出力数などを見ることができる仕組みをつくる仕事もしました。この前、当時一緒に汗を流したその会社の社員の方と酒を酌み交わす機会があって、酔った勢いで「われわれは地図に残る仕事したんだよね」とお互いの健闘を讃え合いました(笑)。

——やはり、世界初の量産型EVとなるとマーケティングからインフラ面までやることが多く、かつ、その一つひとつが未来に繋がる重要なものばかりだったということでしょうか。

 はい、そういう感じでしたね。正直、どれも地道で小まめな努力を強いられるものばかりでしたけど、そういう使命感をもって、かなり意欲的に取り組んだ記憶があります。いま振り返っても、いい思い出ですね。

【i-MiEVの10年 / 元メーカー担当者の目線】

「世界初の量産型EVの普及を支える仕事に使命感を持って取り組んだ」(堤健一さん)

「大ヒットはしなかったけれど、世界にEV化の波を起こした功績は絶大でしょう」(堤健一さん) 

堤健一(つつみけんいち)
1960年1月生まれ。日本大学理工学部卒業後、コンピュータソフト会社の営業職に。1999年に㈲堤エネルギーコンサルティングを設立し、いち早くEVを媒体とした観光開発などの事業に取り組む。その後、2001年からは慶應義塾大学SFC研究所の研究員となり、8輪電気自動車「Eliica(エリーカ)」プロジェクトなどに参加。そうした先進的な活動がきっかけとなって2005年に三菱自動車工業に入社。i-MiEVコンセプト開発やマーケティングのほか、経産省主管の『EV/PHVタウン構想』の推進、CHAdeMO協議会の立上げなどにも携わった。2016年に三菱自動車工業を退社して㈱LTEを設立。現在、電動車両のリース業・レンタル業、電動車両導入コンサルティングなどEV関連の事業を幅広く行っている。日本EVクラブ会員。

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