給電には外部給電器が必須
EVには、給電ができるという便利な機能がある。
しかし、たとえばキャンプなどでV2Lとして給電を行う場合、充電口からそのまま家電に使える電力を取りだすことはできない。まず充電口に外部給電器をつなぎ、そこから家電への給電を行う必要がでてくる。
どうしてか?
充電口は、家電用のコンセントの差し込み口とまったく形状が違うということもあるが、根本的な問題はそれではない。
そもそも、EVのバッテリーに蓄えられている電気は直流(DC)だ。一方、家庭で使う家電製品はすべて交流(AC)で動く。つまり、EVから給電を行うには直流から交流への変換をしなくてはならない。そこで、外部給電器はそれを担うものとして不可欠な存在となるのである。
ワット数の問題も絡んでくる。
たとえば、アウトランダーPHEVには交流に変換した100ボルト1500ワットの電力が使えるコンセントの差し込み口が付いているので、直接そこから家電用の電気が取り出せるようになっているのだが、それも1500ワット以内での話。
それより大きいワット数の家電を使う場合は、別途、充電口から電力を取り出さなくてはならず、そうなると、出力値の大きい給電が行える外部給電器がやはりどうしても必要となってくるのである。
実は、この外部給電器、2011年の東日本大震災時にはまだこの世には存在していなかった。
震災の避難所となっていた中学校で救援活動に奔走していた一人の女性教員が三菱自動車(三菱自動車工業株式会社)の社員に対して「EV(アイミーヴ)から電力が取り出せるようにしてほしい」と切な訴えをしたことがきっかけとなり、その後に三菱自動車が外部給電器である『MiEV power BOX』の開発・発売にこぎ着けたという経緯がある。
各自動車メーカーならびにサードパーティ企業が次々と、EV用の外部給電器(V2H用、V2L用)を商品化するようになったのは、それ以降のことなのである。
ということで、今回、日本EVクラブの『EVスーパーセブンで東北被災地を巡る旅』では、その中学校をEVの給電に不可欠な外部給電器の“発祥の地”と位置づけ、感謝と敬意を表すための訪問を実施することを決めていた。その訪問が実現したのは旅の5日目、5月21日のことであった。
〈5/21 坂元中学を訪問〉
『MiEV power BOX』発祥の地に敬意を
訪ねたのは、宮城県の山元町にある坂元中学校という学校だった。
残念ながら件の女性教員は既に定年退職しており、その人との面会は叶わなかったが、学校を代表して武田義弘教頭が日本EVクラブの一行(代表の舘内端氏、メインドライバーの堤健一氏と寄本好則氏、この日のサポートドライバーを務めた自動車ジャーナリストの吉田由美氏と斎藤慎輔氏)を出迎えてくれた。
この面会の席では、今回の旅のメインドライバーの一人である堤健一氏が外部給電器の発祥にまつわる話を披露した。実は、堤氏こそは震災直後に女性教員からの訴えを受けた三菱自動車の社員、その人だったのである(堤氏はその後三菱自動車を退職、現在は株式会社LTE代表)。
当時の経緯を改めて紹介すると、以下のようになる。
2011年3月11日に東日本大震災が発生。被災地への支援として三菱自動車は、被災した各県にEVのアイミーヴを提供することを決めた(最終的に89台を提供)。
震災直後は各所で道路が寸断されたせいでガソリンが届かず、多くのエンジン車が動かない状況に陥っていたわけだが、比較的早めに回復した電力インフラが利用できるEVのアイミーヴなら、「きっと活躍できるはず」との判断がそこにはあった。
当時、三菱自動車の社員であった堤氏は東北地区の担当として、このアイミーヴ提供に深く関わっていた。そのため、震災から1ヵ月あまり経ったころ、当時の社長から「アイミーヴがちゃんと被災地に役立っているのか、その目で見てきてほしい」との命を受けることになった。
現地に赴くと、各所で走るアイミーブはどれもドロドロに汚れていた。だが、それはしっかり活躍できている証であった。不足していたガソリンいらずなのはもちろん、ほうぼうに瓦礫が散乱する状況下でも軽自動車規格のアイミーヴは走りやすかったため、避難所に救援物資を運ぶなど八面六臂の働きをしていたのである。
堤氏は、その様子にある程度ホッとできた。しかし、かといって「十分である」と考えるわけにはいかなかった。なぜなら、山元町の避難所となっていた坂元中学校に赴いたとき、そこで避難所運営にあたっていた女性教員から、次のような要望を投げかけられたからである。
「アイミーヴには電気が蓄えられているのに、それが取り出せない。電気が十分に足りていない避難所などで、ここからの電気が家電や照明に使えたら、どんなに助かることか。なんとかしてほしい」
これを聞いた堤氏は、天を仰ぐよりほかなかった。
当時、アイミーヴからは100ワット以下の電力は取り出せたものの、1500ワットクラスの電力を取り出すための装置がなく、その要望に応えることができなかったのである。アイミーヴのもつせっかくのポテンシャルが十全に活かし切れていない、その思いを強くした。
社に帰った堤氏は、社長にこの一件を報告した。すると社長も、女性教員の要望を理解し、すぐに「アイミーヴから、1500ワットクラスの給電ができるようにするための外部給電器を早急に開発すべし」との命を下したのである。
通常、メーカーでなにかの新製品を開発する場合は数年の歳月を要する。しかし、 この外部給電『MiEV power BOX』は、わずか1年足らずで製品化された。異例中の異例ともいえるスピードだった。
そして、これは世界初の市販されるEV用外部給電器となったのであった――。
「これを機に、電気がないときや場所でも給電ができるというEVの大きなメリットが確立することになったわけです。既に私は三菱自動車の社員ではないのですが、EVを深く愛する者として、そのきっかけをつくってくれた坂元中学校そして当時の女性教員の方に、深く感謝申し上げたいと思います」(堤健一氏)
この堤氏の話を聞いた武田義弘教頭は、次のような感想を述べている。
「実際に被災して電気のない辛い体験をした一人として、EVから給電ができるようになるというのは、ほんとうにありがたいことだと感じられました。そして、自分が赴任する前とはいえ、われわれ中学校での出来事が契機となってそれが可能になったというのは大変に名誉なことに思えました」
「実をいうと、いま、私個人はバリバリのエンジン車派です。あのエンジン音と振動がないと運転する喜びが薄れると思っているところがあるんです(笑)。でも、今日のお話を聞いて、これからは給電のことも含めて『EVが主流の時代になるのは必然なのかもなぁ』と強く感じるに至りました。今後の皆さんのEV普及活動のご健闘を心よりお祈りいたします」
〈5/21 千年希望の丘でキャンプ〉
騒音も排気もないクリーンな給電キャンプ
坂元中学校を辞した後、一行は津波により人が住めなくなった土地につくられた公園、『千年希望の丘』に向かった。
EVからの給電によるゼロエミッションキャンプの実施と、公園に建立されている慰霊のモニュメントをライトアップするためだ。
海沿いにある公園とはいえ、高い防波堤があるため波の音はそこまで届かない。少し離れた場所に仙台空港はあるものの、あたりには人家が一軒もないため物音ひとつしなかった。そしてもちろん、EVによる外部給電器を介した給電はガソリンで動く発電機が発するような騒音や排ガスを一切出していなかった。
聞こえるのは、ホットプレートで肉や野菜を焼く音と一行のにぎやかな話し声だけ。原始のキャンプはおそらく大自然の静寂に包まれていたのだろうが、現代のキャンプも、それに近い非常にクリーンな状況の中で行われたのである。
くつろぎつつ、舘内代表に、これまで被災地を巡ってきて感じたこと、EVの給電メリットのアピールの手応え、そして今後の旅の見通しなどについて聞いてみた。
「震災から7年経って復興もある程度は進んでいるけど、行く先々で感じるのは、人々の心には、まだ当時の傷が完全には癒やされないまま残っているということです。あれだけの災害、そりゃそうならざるを得ないだろうなと、改めて痛感した次第です」
「ただ、だからといって、皆さん、暗く沈んでいるわけではない。そんな状態にあっても、われわれを温かく迎入れてくれている。そして、EVが給電できることに明るい未来を感じ、朗らかに喜んでくれている。じつに、嬉しく、ありがたい反応に思えます」
「ちなみに、そんな中、とくに面白いなあと感じるのは、小さな子どもと、中高年のエンジン車派の方が熱心に話を聞いてくれているということです」
「たぶん、子どもの場合は次代のクルマに素直に反応してくれているんでしょう。で、中高年のエンジン車派の方々の興味の理由はなにかというと、被災したときにエンジン車が動かせなかったり、電気が足りないという経験をした影響もあるのでしょうけど、どうもそれだけじゃないみたいなんです。もともとクルマに詳しいだけに、ここ最近の世界の急激なEV化の動きを敏感に察知して、自分もそろそろEVのことを勉強しておかなきゃいけないと思っているようなところが見受けられるんです。いってみれば意識革命が起きている状態になっているんですね。そういうような現象はいままでそんなに多く見たことがない。なので、僕は『ああ、とてもいい流れがきているなあ』って感じているわけです」
「とにかく、いい手応えがいっぱいです。私は今回はゴールまでは同行できませんが、そうした手応えを勇気にして、トラブルを抱えたEVスーパーセブンは、これからも大間崎までの旅を続けていきます。大丈夫、少しくらいの故障もなんのその。きっと、なんとかなります(笑)」
(文:みらいのくるま取材班)
【ルポ】日本EVクラブ『電気自動車EVスーパーセブンで東北被災地を巡る旅』
①・・・「全国にEV給電ネットワークをつくるのが僕の夢」(舘内端)
②・・・「世界初の外部給電器を生む契機となった中学校に感謝」(堤健一)
③・・・「東北の人たちがEVに乗れば震災支援の恩返しができる」(柴山明寛)
④・・・「EVで旅すると電気エネルギーのありがたさが身に染みる」(寄本好則)